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2011年秋、ヒグマはなぜこんなにも市街地に現れたのか?

1.札幌市中心部に出没

 本年10月6日に、札幌市中央区南23条西15丁目付近にヒグマが出没した。その数日前にも南区藤野や西区西野にもヒグマが出没していたが、こういった地区では例年ヒグマの出没が見られる地域なので、取り立てて驚くようなことはなかった。しかしながら、札幌市中央区となればまさに札幌市の中心部であり、これまでヒグマが出没するようなことはまったくなかったので、いきなり大きな社会問題となった。中央区(藻岩山麓?円山公園?北海道神宮付近)では10月6?8日の3日間、場所を変えてヒグマが出続けた。同じ個体が何度も場所を替えて出没したのか、複数の個体が別々に出没したのかはわからなかったが、いずれも比較的小さな個体だったと証言されている。その後、他の地区でも目撃や痕跡発見の情報が増え続け、結果、藻岩山自然歩道、旭山記念公園、宮丘公園など、軒並み市民に馴染み深い登山道や公園が閉鎖された。その後11月に入って出没の情報は少なくなり、事態は終息した。市街地に出てきた原因は明確でないが、出没した場所でクルミの実を食べていたと目される痕跡が見つかっている。結局札幌市ではこの秋計12件のヒグマ目撃情報が寄せられ、例年以上の出没を見せたが、幸い人身事故に至ることはなかった。

 

2.その背景にあるもの

 昨年、全道的に堅果類(ドングリ)が豊作であったことを受けて、ヒグマが出没する土壌はできていた。クマの生態上の特性として冬眠中に出産をすることから、冬眠前に体脂肪を蓄積するための源である餌、すなわち堅果類の豊凶によって繁殖の成否が決まるのである。したがって、昨年には大量のドングリを食べることによって体脂肪をたっぷり蓄え、繁殖に成功するメスが増え、今年の春先にはいつも以上に親子グマが増えると推測されたわけである。実際知床半島では、この夏、当歳子を連れた親子のヒグマが目立って観察された。加えて、ドングリをつける木の周期性により豊作年が2年続くことはなく、今年秋の堅果類の実なりの不良が予想された。実際には、調査ポイントが限られているので確かなことは言えないが、9月に北海道庁が取りまとめた道内各地域のドングリ(ミズナラの種子)の実なりは概して不良であった(不作?凶作)。その結果、この数年ヒグマの有害捕獲数は増加傾向にあるとはいえ、ここ10年ほどでは最大数に達した(11月24日現在744頭)。昨年が561頭、一昨年が649頭であったので(過去5年間の平均は501頭)、その捕獲数は多いといえる。また、捕獲されたヒグマの胃内容分析でも堅果類の占める割合は低かったようである(未発表情報)。これらのことを総合すると、ヒグマが札幌市内に出没した一つの原因として、昨年のミズナラの豊作ならびに今年の不作が関係しており、とくに秋の餌(ドングリ)が不足して栄養を補うためにクルミの実などをねらって市街地に出没したと考えられる。

 

3.近年起こってきたこと

 これまでに、今年の秋札幌市内に多くのヒグマが出没したのは単に餌不足だけが原因ではないことを多くの専門家が指摘している。ほとんど検討がなされていないので推測の域を出ないが、おそらく次のようなことが起こってきたと考えられる。一つにはヒグマの分布域の拡大である。札幌市民が頻繁に訪れる藻岩山や盤渓などでは、以前から生息地として機能していたと考えられる定山渓や手稲の山域からヒグマが分布を拡大しつつあり、そのため藤野や西野地区には常時ヒグマが近隣の山に棲んでいて、市街地に出やすい状況ができていた。その原因として考えられることは生息数の増加であるが、これについては確かなデータが取られてから議論すべき課題であろう。次には、最近では、かつてのように山中で行われていた狩猟がほとんど行われなくなり、ヒグマが人間を恐れずに、むしろその存在を気にしなくなったことである。すなわち、世代を経るうちに人を恐れなくなった、いわゆる”新世代グマ”が増えたことに起因する部分もあるだろう。その背景にはハンターの高齢化と減少という社会的な問題がある。

 

4.今後の課題

 第1には、札幌市民の安全を図る必要からもヒグマ対策の専門家を札幌市に配置することである。それはハンターに依存するのではなく、行政独自の専門家チームを編成することである。北海道と札幌市という行政が一致協力して、総合的なヒグマ対応マニュアルを策定し、きめの細かい対応をする必要がある。例えば、ヒグマが出没した時に、専門家がすぐに現場に駆けつけ、いち早くその状況を把握し、適切に危険度(リスク)を判断することである。場合によっては、人の立ち入り制限をしたり、パトロールを強化したりするなど、司令塔となって指示を出し、逆にヒグマに対してはその危険度に応じて、山への追い払いや致死的対応(捕殺)などを実行する。そのような体制が一日も早く敷かれることを望む。
 第2には、ヒグマの生態をもっとよく知ることである。とくに札幌市近郊の山に生息するヒグマがどのような分布と行動圏をもっているのか、また、どのような年齢層のヒグマが何頭くらい生息しているのかを把握することは重要である。さらに、餌資源の年次変動と彼らの行動パターンの関係を掴み、何故ヒグマが市街地に出没するのかを明らかにしていくことが肝心である。
 第3には、市民レベルでできる対応を普及させることである。一般の方のヒグマに対するイメージはおそらく怖い、恐ろしい、危険といったものであろうが、過剰な恐怖心(その集合としての世論)は必要以上にヒグマ捕殺の方向に向かわせてしまうので決していいことではない。その恐怖心は、ヒグマの生態や習性を正確に捉えていないことに起因する部分が大きい。ヒグマの生態についての基本的な知識に加えて、ヒグマと会った時にどうしたらよいか、また、ヒグマに会わないためにはどうしたらよいか(後者の方が大事)、そういったリスク回避のための基礎知識を札幌市民に普及啓発することは重要である。この点については、日本クマネットワークが普及啓発用の教材であるクマ・トランクキットを貸し出しているので参照されたい(http://www.japanbear.org/cms/)。
 最後に、今年は出没が多かったにも拘らず負傷者を出さずに済んだことは何よりであった。しかしながら、それはヒグマが山に帰ってくれたという偶然によるところが大きく、一歩間違えれば大惨事に発展していたとも限らない。行政は長年の重い腰を上げて速やかに札幌市独自のヒグマ対策を進めるべきである。

坪田敏男(北海道大学大学院獣医学研究科・教授)

路面電車も走る札幌市中央区の市街地にヒグマが出没した(2011年10月6日)。

秋にヒグマが大量に食べるミズナラ種子(ドングリ)

知床半島で観察されたヒグマ親子(2011年8月27日)

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