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札幌市東区で4人に重軽傷を負わせたヒグマ騒動

2021年6月18日、札幌市民を震撼させる事件が起こった。札幌市東区の市街地にヒグマが出没し、市民4人に重軽傷を負わせながら逃走し、挙句の果てに丘珠空港近くの茂みであえなくハンターに撃たれ絶命した。その間、地下鉄栄町駅や元町駅付近の市街地を走り抜け、朝のゴミ出しや出勤途中の市民に襲いかかり負傷させた。早朝だったので、まだ登校する児童や出勤するサラリーマンがそう多くなかったのが幸いであった。被害者は、まさかそんな街中でヒグマに襲われるなど露とも想像できなかったに違いない。被害に遭われた方々には、負った傷が一日も早く癒えることを願わずにはいられないが、致命傷にならなかったのは不幸中の幸いであった。一方、撃たれたヒグマは体重158 kgの若い大人のオス(推定4〜6歳)であった。ちょうどヒグマの交尾期にあたる季節であったので繁殖活動との関係が示唆されている。決して大型の優位なオスではなかったので、もしかしたら強い大型オスの攻撃を逃れるために放浪してきたのかもしれない。結果、札幌の市街地に出没し、4人に重軽傷を負わせて加害者となり、有害駆除の対象となった。この事件は、我々に何を問いかけたのだろうか。この事件の背景にあるヒグマの生態や現状、さらには人とヒグマの関係について解説する。

 

北海道の豊かな自然を代表し、シンボルともいえるヒグマではあるが1)、古くは北海道開拓時代から延々と人間の脅威となってきた動物でもある。明治大正期の札幌丘珠事件や苫前三毛別事件にはじまり昭和期の福岡大学ワンダーフォーゲル部員の日高山系での凄惨な人身被害など、これまでヒグマは北海道民に強烈な恐怖心を植え付けてきた2)。最近でも厚岸町や古平町などでヒグマによる人身事故が発生し続けており、それが今年2021年にも起こったのである。しかも197万人都市の札幌市で起こったのだから、これまでにも増して北海道民に悪い印象を与えたかもしれない。それでも、かつてのようなヒグマを害獣とみなし、撲滅させろという声は聞こえてこない。むしろ、何故駆除したのかといった擁護する声さえ聞こえてくる。時代は確実に変わり、人とヒグマが共存する時代になったといえよう。

 

しかしながら、札幌市などの都会の中で人とヒグマが一緒に暮らすなど、絶対に無理な話である。極端な保護派の中には、ヒグマを含め動物と手を取り合って一緒に仲良く暮らすという非現実的な妄想を持たれる方もいるようであるが、現実には毎年のように起こるヒグマによる悲惨な人身事故を見るにつけ、それは妄想でしかないことがよくわかる。野生のヒグマは、人を見たら片っ端から襲いかかる獰猛な生き物ではないが、潜在的には人を殺傷する能力は確実に秘めている。時速60kmで走ったり、木に登ったり、海を泳いだりする能力は人間のそれらを遥かに凌ぐものであることは間違いない。では、人とヒグマの共存を実現するのは不可能なことなのだろうか。それを実現するためには、人の居住域とヒグマの生息地を完全に分け隔てることが必要である。すなわち、ゾーニングという考え方で、札幌市であれば、例えば定山渓や磐渓周辺の山々はヒグマの生息地として認め、一方大多数の市民が住む平地は人の居住域とし、その間を緩衝帯として人もヒグマも利用できる区域として管理する手法である。もちろんヒグマが居住域に侵入した際には、駆除といった致死的な手段を採用するが、それ以外の区域では、なるべく非致死的な手段を講じて適切にヒグマの保全や管理を行うことになる。そのためには鳥獣管理行政の組織基盤をしっかりと確立し、ヒグマをはじめ鳥獣の生態や管理の専門家を適正な数配置し、他の研究機関やNGO組織と連携して管理体制を構築し、現場での即時および持続的対応を運用することが必要である。人口197万人を擁する札幌市で人とヒグマが共存できたならば、世界的に見てもとても稀なことで世界に誇れることとなるであろう。

 

ここ数年、ヒグマの市街地(札幌市、帯広市、江別市など)への出没が続いている3)。これは、北海道に限らず世界的に見ても同じような傾向にある4)。未だに密猟が横行する地域を除けば、北米、欧州およびアジア(ロシアを含む)に生息するヒグマの個体数は増加傾向にあり、生息地も拡大している。特に北海道のヒグマ(エゾヒグマ)はその傾向が顕著で、かつて2,000頭あたりにまで数を減らしたエゾヒグマは、今や5,000頭はゆうに超えているとされる5)。その背景には様々なことがあるが、一つには狩猟者の減少と高齢化問題がある。すなわち、今から3〜40年ほど前であれば、狩猟者が山に分け入り、ヒグマを追って狩猟や駆除をしていた光景が道内各地でみられたのが、今ではすっかりそのようなことは行われなくなってしまった。実際、近年でも7〜800頭ほどのヒグマが道内で捕殺されているが、そのほとんどは狩猟ではなく有害駆除(許可捕獲)で撃たれているのである6)。有害駆除の場合、農作物など被害を受けた場所の近くにヒグマ捕獲用オリを仕掛けて、誘引物に惹かれて入ったヒグマを銃で射つのである。したがって、農作物や人家に近づいたら痛い目に遭うという学習をしないまま死に至ることになる。一方、狩猟により山中で追っかけ回されることで人を怖い存在と学習する機会を与えることになる。人とヒグマの生息地を分け隔てるためにも狩猟行為は有効なのである。

 

もう一つの問題は、いわゆる中山間地(里山)から人が撤退したことである。中山間地で人の活動が見られ、犬や家畜がいることにより、ヒグマなどの野生動物が近づかなくなる防波堤のような役割を果たしていたのが、それがなくなったことによりヒグマをはじめ野生動物が人里近くまで寄せてきたのである。実際、ヒグマの生息地が徐々に拡大し、市街地や人里近くまでヒグマが近づいたといえる7)。そこで、山中で餌が不足することにより腹を空かせ餌を求めて徘徊する個体、さらには動物同士の闘争や力関係により溢れ出た個体が市街地や人里に出没することにつながっていると考えられている。実際、本州や知床半島では、近年秋の主要な餌であるドングリが不足した年の秋季に大量にクマが人里に出没する、いわゆる大量出没が起こっている8)

 

さらには、ヒグマの分散や繁殖・子殺しといった生態学的な背景も市街地への出没に関係している。未だヒグマの生態について十分に解明されていないことが多いので確かなことは言えないが、オスの場合、2〜3歳の幼齢期に近親交配を避けるために母親の元から遠く離れた場所に一方向的に移動する分散や、交尾期(5〜7月頃)に大型の特定の個体が繁殖に成功する中で、劣位な個体は闘争に負けて優位なオスに追い払われての移動(放浪)がみられる。また、交尾期にオスが親子グマを襲い、授乳している子グマを殺して母親の泌乳を停止させることにより発情を回帰させ、自らの子孫を作るといった子殺し行動もあるとされている。そのため親子グマ(母グマと0歳または1歳子)は大型のオスを避けるように人里近くで行動することがしばしば認められている。これらヒグマの市街地への出没と生態との関係についてより確かな科学的情報が求められている。

 

以上のような問題が複合的に重なってヒグマの市街地への出没につながっていると考えられる。先に書いたように、北海道で近年ヒグマの個体数が増加し、生息地が拡大している状況の中で、札幌市のような大都市であってもヒグマが出没するリスクは益々増大している。今回のように東区に限らず藻岩山に近い中央区、定山渓や支笏胡周辺の山々とつながっている南区などはさらにリスクが高い地域といえよう。数年前、中央区にある中央図書館や北海道神宮のすぐ前にも現れたことを記憶されている方もおられよう9)。札幌市の中心街であっても今やヒグマが出没する可能性は0ではないのは確かなことである。

 

では、ヒグマ出没に対して各個人がするべきことは何であろうか。以下に重要な点を指摘しておく。

1)ヒグマ出没の情報があったらその場所には近づかない。

2)ヒグマの出没付近では残飯や生ゴミの管理を徹底する。

3)ヒグマの出没付近では朝夕の一人歩きは控える。

 

次に、万一ヒグマに遭遇した時の心構えや対応を記しておくが、あくまでこのような事態に遭遇しないことが肝要である。

1)まず慌てて逃げたり大声を出したりしてヒグマを刺激しない。

2)少しずつ後ずさるなど距離を保つことを心がける。

3)もしヒグマがこちらの存在に気付いていないようであれば声を出して知らせる。

ヒグマとの距離やその時の状況次第で柔軟に対応を変える必要があるが、大事なことはヒグマの動きを観察しながら冷静に落ち着いて行動することである。

 

最後に、ヒグマの会(http://higuma1979.sakura.ne.jp)では、ヒグマの生態やヒグマによる人身事故を起こさないために行うべき対策などをまとめた小冊子を提供しているので参考にしていただきたい10)

 

引用元

1) https://www.city.sapporo.jp/zoo/04event/r1/20191209symbol-kekka.htmlを参照

2) ヒグマの会編.2010.ヒグマとつきあう−ヒトとキムンカムイの関係学.Pp.286.

3) ヒグマの会ニュースレター「ヒグマ」2020年5月号(gen.3-vol.5)および10月号(gen.3-vol.6)

4) 例えば、Bombieri et al. (2018): https://www.nature.com/articles/s41598-018-36034-7.pdfを参照

5) http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/higuma/suitei.pdfを参照

6) http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/higuma/data10.pdfを参照

7) http://www.japanbear.org/wp/wp-content/uploads/2016/12/2014jbnhoukokusho.pdfを参照

8) http://hokkaido.env.go.jp/kushiro/kanrikeikaku.pdfを参照

9) 坪田敏男.2013.クマの生息動向と最近の被害状況.日本獣医師会雑誌66: 131-137.

10) http://higuma1979.sakura.ne.jp/news.htmlを参照

 

以上、文責坪田

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