野生動物学教室

NEWSお知らせ

2012 ネパールでのゾウ結核の疫学調査 紀行文あれこれ

Bardia NPでの仕事を終えてカトマンズに戻るところである。思えば、ネパールに来て既に1週間が経過しようとしている。昨日までの過酷な生活が嘘のように、今こうして空港でキーボードを叩いている。いつもながら準備不足と言おうか、何も下調べをせずにネパールに来たのが間違いであった。ネパールは今まさに夏真っ盛りだったのである。気温40度はふつう(あとで聞いたら45度あったという)、夜に30度以上の超熱帯夜になるのも当たり前なのであった。しかも、基本的に電力が足りていないので、一日に電気が届くのが数時間程度という状況なのだから過酷としか言いようがない。エアコンがないのは当たり前(それはたいした問題ではない)、部屋に入ってファンが回っていない時の落胆といったら、もうとことんあきらめるしかないという感じである。パンツ一丁、シャツ1枚で、だらしなく寝そべってアジアジ、フハフハと言っているしかないのだ。ファンが回っていてもいつ切れるのかわからない状況は心もとない。そして、電気が切れるときのプスっという音は何とも切ない音である。

ネパール入りしたのが1週間前の5月15日。カトマンズは相変わらずの喧騒の町であったが、それでも高地にある町なので、真夏といっても30度くらいの気温なので、それほど苦にはならなかった。むしろ夜などは涼しくていい気候だなと思ったほどである。いっしょに来たSaradは水を得た魚のように、汗をかきかき一所懸命働いている。着いたその日半日は打合せで終わった。2日目、再度打合せと買い物であっという間に時間が過ぎていった。3日目には朝6時にホテルを出て、空港に向かう。Saradが出発前からたびたび心配を口にしていたストライキ(こちらでバンダという)が始まってしまったのである。朝は早めに出発したのでデモ行進に合うことなく空港までたどり着けた。例によって混雑する(まったくシステム化していないぐちゃぐちゃ状態)の国内線でチェックインをしてすぐに飛行機に乗り込んだ。今回の仕事の目的地Bardiaへの出発である。ネパールグンジというちょっと変わった名の空港への1時間ほどのフライトである。途中窓からはアンナプルナ峰などヒマラヤの8,000メートル級の山々が雄姿を現わす。さすが世界の壁と言われるだけあってその世界は別格である。空の上にそびえたつ氷河をまとった姿は圧巻としか言いようがない。ネパールグンジ空港はカトマンズ空港とは一転してど田舎の空港であった。降り立つと子供たちが我先にと荷を持とうとしたり、どこへ行くんだと訊ねてきたり、まとわりついてくる。ホテルからの迎えが来ていなかったので、少年2人に頼んで自転車荷車(前が自転車で後ろが荷車なっている)に乗せてもらい、20分ほど田舎道を走ってもらった。車、バイクの喧騒はなく、自転車と牛車しか見られない。ホテルに到着。今日はここに泊まると思いきや夜までの待機場所だという。疲れてもいたのでちょうどいい休憩となった。夜7時半頃Saradが話をつけてきた。これから出発して、夜中にBardia国立公園に着くという。その方法は?ポリスの車で搬送してくれるという。結果、堅牢そうなネパールアーミーのように武装したポリスマンが5,6人乗り込んだRV車に乗せてもらい、一路Bardiaへ。途中4回も違うポリス車に乗り換えた。その度にその支所のボスと思われる、腹デカポリスと握手を交わして、歓待を受ける。数か所で、若い男衆が屯している場面に遭遇した。路面にはガラスが散らばっていて、何事か事件が起こった後のようだ。緊張する瞬間であるが、ポリスが睨みを利かせると衆人は霧散していく。人懐っこく、悪行などと不縁と思えるネパール人であるが、衆人化すると行動がエスカレートするらしい。デモ行進は夜中まで続いたようであるが、われわれは、それとは関係なく無事に11時過ぎにBardiaに辿り着いた。すぐにネパリ食事がふるまわれ、お腹の空いた2人はガツガツと食事をいただいた。こうして始まったBardiaでの生活だったが、あとはトーンダウンしていくことになる。

ある夜のこと。気温は30度くらいだろうか、いやもっとありそう。さっきプスっといって電気が途絶えた。もちろんクーラーなどあり得ない。しかたがないので、蝋燭に火を灯し、少しでも低いところ(つまり床)に横たわる。屋根はトタンなので夜まで熱を保持しているのである(どうしてトタンなんだ?)。水は何とか昨日から出続けている。最初は水も出なかったので、どうなることかと恐れおののいた。とにかく体を冷やすことが大事と思い、何度もシャワーを浴びる。昼目にした子供たちの川での水浴びシーン(とても羨ましかった)を思い出しながら、自分も水をいっぱい頭から被った。気持ちがいいのは一瞬であるが、それでもこの楽しみがなかったらたいへんだ。蚊がいるようで、嫌な羽音が耳元で鳴っている。しかたがないので(何でも仕方がない)蚊帳をほどいて中に入る。布団も生ぬるく温まっているのであまり気持ちのいいものではない。ジトッと汗ばみながらベッドに入るのは何とも不快な感じだけれど、これしか選択肢がないのである。時々ウトウトとしかかるが、熱気に目が覚めてしまう。仕方がないので、再度シャワーをザバーっと浴びる。また蚊帳の中に入る。汗がジトっ。。。これを何度となく繰り返して、ようやく外が白みかけた頃、冷たい空気が流れ込んできて深い眠りにつくのである。

それでも2日、3日と生活していると体は徐々に慣れてくるものである。2日目の夜は日中バテバテということもあって(夜も若干涼しくなった)、よく眠ることができた。時に食欲も出てきて腹を満たすことができた。ただ、基本的に脱水を免れるために水をたっぷり飲むので、常にお腹はいっぱいの気分である。おまけにコーラ、ファンタ、スプライトと普段ほとんど飲むことのないジュース類を飲むのでなおさらである。ネパール風ミルクティーもたまにはいいのだけれど、甘ったるいので飲みすぎるわけにもいかない。一番その美味しさに感動したのはタイガートップで出してくれた搾りたてのジュースである。名前は忘れてしまったが、何とも甘味を抑えた水分たっぷりの本物のフルーツジュースであった。ネパールでああいうものをぜひ飲みたいね。仕事をすべて終えて最終日、野生の雄ゾウが発情した飼育ゾウを狙ってやってきて(ゾウの繁殖は基本的にこのスタイルなのである面歓迎されている)村で悪さをするので追い払いをするためにアーミーたちが集まってきている。被害にあった村人が国立公園の最高責任者チーフワーデンに被害の実態を訴えている(ように見える)。この村で起こった一大事のようである。われわれはあまり関係を持ちたくないので、近くのレストラン(露店ほどのもの)にてビールで祝杯。めずらしく電力供給時間が長かったのでビールが冷えていてうれしい。今回お世話になってゾウ使い30人のチーフマネージャー(やはり腹は出ているけどゾウ・ポロの名人らしい)と獣医師のDr. Pandey(野生動物専任)とSaradと私の4名である。彼ら2人はゾウ問題に関係する人物だけどビールの魅力には勝てないらしく、いっしょに飲んでいる。どんなに過酷でも、どんなに夜の不快感があっても、この一口のビールを飲めればすべてが忘れられる。4日間お世話になった感謝を述べ、最後の宴は暗闇とともに静かにふけていった。

 

おまけ

ネパール人のいいところ
・人懐っこく、必ず手を合わせて挨拶してくれる。こちらもつい手を合わせてしまう。
・タフ。気温40度をモノともせず元気だ。腹に水を貯める機能をもたせている。
・よく食べる。しかもお決まりのネパリ食を毎食食べられる。私は遠慮しておきます。

意外なネパール人
・胸毛が必ず生えている(羨ましいわけではない)。もちろん男。女性は知りません。
・男どおし(しかもいい歳のおじさんが)普通に手をつないでいる(ゲイではないと思う)。時に手をからめたり、腰に手をまわしたりして(それでもゲイではないと思う)。

ネパール人のよくないところ
・ゴミをあたりかまわず捨てる(道路はゴミだめ状態、川は臭い)。
・順番が待てない。わが欲望のままにがつがつと突き進む。
・きまって腹が出ている。とくに高所得者はそう。

ネパールのよいところ
・生フルーツジュースが美味い。
・女性が元気だ。きっと女性上位なのだろう。
・労働を厭わない。どこまでも荷を担いで歩いている(はたしてどこまで行くのだろう)。
・正直で、仕事には忠実。怖い目に合ったことがない。

ネパールのよくないところ
・お茶がやたらに甘い。ミルクティーはまだいいと思うが、ブラックティーになるともはや飲めない。きっと糖尿病が多いに違いない。
・ビールをギンギンに冷やさない(個人的趣味ですが)。
・お金が汚い。あまり触りたくない。
・交通ルールがなっていない。ただひたすら前へ前へ。横入りするバイクにタクシーの運ちゃんが唾を飛ばしながら文句を言っているが、ぐちゃぐちゃ度から言えばたいした問題ではない。

 

ゾウの結核を調べるための疫学調査(気温45度での作業は過酷であった)

ダリジャ(紫色の花)の咲くカトマンズにて  坪田敏男

一覧へ戻る

野生動物の「保全」と「管理」に貢献する

野生動物学教室